ゼミ内話題
融けるデザインー5章ー
○非拘束性のあるコンテンツ
パラレルインタラクションの時代の製品やサービスには「配慮」が必要だ。
「ねこあつめ」
のらねこはモバイル。家猫が家電。
ちょっと見てえさを与えるだけでいい=非拘束
「たまごっち」
持ち運べるゲームとしては先駆け
しかしキャラの死亡というシステムはユーザを依存させたいという気持ちに未練がある
「LINE」
既読というシステムに拘束されている感
twittterのように融けていない
逆に拘束されていることでコミュニケーションが円滑に?
○生活に融けていくコンテンツはいいことなのか?
融けすぎると面白くない。
全部がねこあつめのようなシステムでは・・・
隙間時間を活用するはずのコンテンツで隙間時間を拡張させられるのは嫌
ねこあつめの製作者は融けさせたコンテンツによりどんなUXを与えたかったのか?
「のら」
ゴキブリころしは見つけたゴキブリを追いかけて殺そうとしている時点で拘束されている
別のパラレルワールドで自分が干渉しなくても生きていて、好きなときに構う(絡む)=「繋がるから絡むへ」
「なめこ」
なめこが作った流れをねこあつめが乗りはやった結果なめこがそのシステムを追いかけるという図は悲しいものが
なめこも枯れるという点で融けていない
マイクロコンテンツ化はおいしいとこだけとるという偏食化を進める
駄菓子屋のおばあちゃんのアプリは歴史があり、ストーリー性があるがそのストーリーが終わればそこで利用が終わってしまう
サザエさんにストーリー性はない(時間軸不明)
続きがない
はサザエさんスタイルは新しい?
日常系
隙間時間に入れればいいよねという考えはもうやりつくされている
ゲーム内時間軸とユーザの生活を考えてみると良いかも